最初に娘が「痛い」と言ったとき、僕はその言葉を助けを求める声としてではなく、分析すべき報告として聞いてしまった。
そのことを、僕はたぶん一生忘れない。
1. 僕は他人の痛みを分類する仕事をしている
保険会社の医療審査部で働いている、と言うと、だいたいの人は「堅そうですね」と笑う。
実際、堅い。
僕の仕事は、事故や通院に関する書類を読み、必要なら本人に電話をして、症状の経過を確認し、それが約款に照らしてどの程度の支払い対象になるのか判断することだった。
痛みは、仕事の中心にある。
腰が痛い。頭が痛い。足が痛い。夜になると痛む。歩くと痛む。じっとしていても痛む。薬が効くときと効かないときがある。雨の日にひどい。
でも書類の上では、それらはだいたい、数行の自由記述欄と、チェックボックスに圧縮される。
持続痛
運動時痛
圧痛
日常生活に支障あり
僕は昔、哲学をやっていた。正確には、大学院に進んで一年でやめた。理由はいくつかあるけれど、いちばん大きかったのは、考えることと生きることを切り離すのが、思っていたよりうまくできなかったからだ。
修士課程のころ、指導教員がウィトゲンシュタインの話をしたことがある。
「他人の痛みは、観察される対象ではない。しかし、だからといって秘密の箱に閉じ込められているわけでもない」
その講義の意味を、僕は当時、半分しか分かっていなかった。
結婚して、子どもが生まれて、哲学書から離れて何年も経ってから、その言葉だけが急に戻ってきた。
きっかけは、引っ越しの段ボールから昔のノートが出てきたことだった。
六月の終わり、梅雨の湿気で紙が少し波打っていた。妻の絵里はリビングで扇風機を回しながら、娘の凪と一緒に古いアルバムを見ていた。僕は床にしゃがみ込み、色あせたリングノートをめくった。
余白に、自分の字でこう書いてあった。
「痛い」は、状態の記述というより、反応を教える言葉ではないか
「懐かしい顔してる」と絵里が言った。
「そんな顔してる?」
「してる。ちょっと嫌な予感のする懐かしさ」
絵里は、昔からそういう言い方をした。分かったふうに優しくするのではなく、ちゃんと少し意地悪で、そのぶん信用できる言い方。
「何のノート?」
「大学院のときの」
「哲学?」
「うん」
「じゃあ、読んだらしばらく面倒くさくなるやつだ」
凪がそこで顔を上げた。
「面倒くさいの?」
「お父さんはね」と絵里が言った。「むずかしいこと考え始めると、すぐ静かになるの」
「いまも?」
「そのうちね」
そのとき僕は笑った。笑っていたし、たぶん、まだ大丈夫だと思っていた。
2. ウィトゲンシュタインは、僕の手を止めた
ノートを読み返し始めてから、僕は家でも職場でも、人の言う「痛い」に少しずつ引っかかるようになった。
もちろん、前から痛みという言葉を聞いてはいた。仕事柄、毎日聞いている。家庭でも同じだ。凪は転べば膝を押さえて泣くし、絵里は気圧が下がると頭痛がすると言う。
でも、そのころから僕は、言葉の向こう側にあるはずのものを、必要以上に意識するようになってしまった。
人は自分の痛みしか持てない。他人の痛みは、見ることも触ることもできない。
できるのは、表情や声や身ぶりや文脈から、それを痛みとして学び、そう扱うことだけだ。
たぶん本来なら、その「そう扱うこと」のほうが大事だったのだと思う。
でも僕の中には、「直接は分からない」という前半だけが棘みたいに残った。
他人の痛みは、直接は分からない。
その認識は、日常のいろいろな場面に、うすくて嫌な膜を張った。
職場でも、変化はすぐ出た。
五十代の男性に電話をかけたときのことを覚えている。交通事故のあと、首の痛みが長引いているという申告だった。
「どんなふうに痛みますか」と僕が訊くと、
「どんなふうにって……嫌な感じに決まってるでしょう」と相手は言った。
苛立ちというより、疲れた声だった。
「すみません。差し支えなければ、動かしたときに強いのか、じっとしていても続くのか」
「両方です」
「痺れは」
「少し」
「日常生活への支障は」
そこで、相手がしばらく黙った。
「あなた、自分でそういうこと聞いてて、変だと思わない?」
僕は返事ができなかった。
「痛いから電話してるんだよ」
通話が終わったあと、僕は受話器を置いたまましばらく動けなかった。同僚の佐久間さんが「大丈夫?」と訊いたが、僕は「平気です」としか言えなかった。
たぶんそのころにはもう、僕は日常会話のなかの「痛い」だけでなく、仕事で求められる正確さまで怖がり始めていた。
ある夜、絵里が台所で指を切った。
「痛っ」
すぐに水道をひねる音がして、僕はリビングから立ち上がった。立ち上がったのに、キッチンへ行くまでの数秒で、余計なことを考えた。
この「痛い」は、反射に近い発声だ。報告か、叫びか。どれくらいの深さだろう。血の量は。本人の痛がり方の癖は。
そんなことを考えているあいだに、絵里は自分で絆創膏を出していた。
「ごめん」と僕が言うと、
「なにが?」と絵里は訊いた。
「取るの遅くて」
「別にいいよ。大したことないし」
そう言ってから、絵里は僕の顔を見た。
「でも、いま一瞬、変だった」
「変?」
「うん。来る前に、考えたでしょ」
僕は否定しなかった。否定できるほど単純な遅れではなかったからだ。
「何を?」
「……どれくらい痛いのかなって」
絵里は少し黙ってから、蛇口を閉めた。
「そういうの、考えなくていいから来て」
そのとき僕は、その言葉の重さがまだ分かっていなかった。
3. 凪は、痛みをうまく説明できない
七月の半ば、凪が学校から帰ってきて、ランドセルを床に置いたまましゃがみこんだ。
「おなか痛い」
絵里はすぐに顔色を変えた。
「いつから?」
「給食のあとくらい」
「吐きそう?」
「ちょっと」
絵里が額に手を当て、僕は横で立っていた。立っていた、というのが正確だと思う。何もしていなかったわけではない。凪の顔色を見て、呼吸を見て、どこを押さえているかを見ていた。
でも、見ているだけだった。
「病院行く?」と絵里が訊くと、
「わかんない」と凪は言った。
子どもの痛みは難しい。
そう思った。仕事でも、子どもの申告は慎重に扱う。表現が揺れるし、恐怖と痛みが混ざる。大人の言葉で整序された症状とは違う。
そんな職業的な考えが、反射みたいに先に立った。
「どんな痛さ?」と僕は訊いた。
凪は顔をしかめた。
「どんなって?」
「きゅってする感じか、ずっと痛い感じか」
「……わかんない」
「押すと痛い?」
「わかんない」
絵里が僕を見た。
「ちょっと」
「いや、聞かないと」
「いま要る?」
そのとき凪が、ソファの端を掴んで小さくうずくまった。痛みを説明する代わりに、ただ体を縮めた。
絵里はもうそれ以上何も言わず、保険証と財布を鞄に入れた。
「タクシー呼ぶ」
「大げさじゃない?」と、僕は言ってしまった。
言った瞬間に、絵里の目つきが変わった。
「大げさかどうかを決めるために行くの」
凪はそのとき、泣いてはいなかった。泣いていないことが、僕の判断を鈍らせた。
泣けない種類の痛みもあることを、あとから思い知ることになる。
結論から言えば、急性虫垂炎だった。
手術が必要なほど悪化する直前で、医師には「もう少し遅かったら危なかった」と言われた。
その説明を聞きながら、僕は自分の足の裏の感覚だけが異様にはっきりしているのを感じていた。病院の床はつるつるして、冷たかった。自分の体だけが妙に現実的で、絵里と凪のいるほうが、少し遠かった。
手術前、処置室へ運ばれる直前に、凪が僕を見た。
「お父さん」
「うん」
「さっき、いたかったよ」
その文法は少し間違っていた。
でも意味は、間違えようがなかった。
4. レヴィナスは、顔の前で考えるなと言っていた気がする
手術は無事に終わった。
それでも、家に帰ってからのほうが、僕にはきつかった。
病院では、やるべきことが決まっている。説明を聞く。書類を書く。必要なものを買う。待つ。付き添う。時間が、役割の形をして流れていく。
家に戻ると、その形がなくなった。
絵里は必要最低限のことしか話さなかった。怒鳴られるより、そのほうが堪えた。
凪は退院後しばらく、僕に何かを頼むときだけ少し不自然に丁寧になった。
「お水、取ってくれる?」
「クッション、こっちに置いてくれる?」
「いたくなったら、言うね」
最後の一言が、僕にはいちばんきつかった。
まるで、前は言っても仕方がなかったみたいに聞こえたからだ。
僕はまたノートを開いた。今度はウィトゲンシュタインだけではなく、レヴィナスの本も引っぱり出した。大学院のとき、ほとんど理解できないまま線だけ引いたページがたくさんあった。
顔は、内容ではない。
顔は、情報の束ではない。
顔は、こちらに向かって命じてくる。
正確な文言は忘れたが、そういうことが書いてあった気がする。
相手の内面を知ることができなくても、顔の前では責任だけが先に立つ。そういう考えにすがりたかった。
でも、それを読みながら僕は、救われるより先に怖くなった。
知れないのに、引き受けなければならない。確信できないのに、応答しなければならない。
分からないことは、遅れていい理由にはならない。
その一行だけが、夜になると胸の奥で冷たく光った。
帰りの電車で、向かいの席の高校生が眉をしかめるだけで、僕は身構えるようになった。職場で電話口の沈黙が二秒長いだけで、何かを見落としている気がした。コンビニで店員が指をぶつけて「あっ」と言うだけで、体が先に動きそうになった。
実際、一度、やってしまった。
昼休みに社内の給湯室で、派遣の女性が紙コップを落として熱いコーヒーを手の甲にこぼした。彼女が短く息をのんだ瞬間、僕は自分でも驚く速さで駆け寄って、蛇口をひねり、手首を掴んで水に当てていた。
「え、ありがとうございます」と女性は言った。
間違った対応ではなかったと思う。けれど、彼女の顔を見た瞬間、僕はぞっとした。
驚いていた。
助かった顔ではなく、過剰に踏み込まれた顔で。
僕は手を放した。
「すみません」
「いえ……大丈夫です」
その「大丈夫」が、本当にこちらを安心させるためだけに使われる言葉なのだと、あのときほど嫌にはっきり分かったことはない。
それは優しさではなかったと思う。
遅れたことへの恐怖が、反射になっていただけだ。
八月の終わり、絵里がようやく言った。
「ねえ」
「うん」
「あなた、最近すぐ反応するよね」
洗濯物を畳みながらの、平坦な声だった。
「前よりは」
「そうだね。前よりは、びっくりするくらい」
「悪いこと?」
絵里はそこで手を止めた。
「それを私に聞くのが、まだ少し変」
僕は黙った。
「この前、私がコップ落としたときも、あなた、一番に来たでしょ」
「うん」
「ありがとう。でもね」
絵里は僕を見た。
「あれ、私を助けに来たっていうより、自分が遅れないために来た顔だった」
その言葉は、静かだったぶん、深く入った。
5. 痛みは、意味ではなく呼びかけなのかもしれない
九月の最初の日曜日、凪はダイニングテーブルで夏休みの作文を書いていた。手術のことを書くのかと思ったら、「うれしかったこと」という題で、校庭のひまわりのことを書いていた。
子どもは残酷なくらい、回復の仕方が早い。
僕は少し離れたところで、仕事用の資料を読んでいた。けれど文字はほとんど頭に入っていなかった。
凪が鉛筆を止めて、僕に言った。
「お父さん」
「なに」
「『いたい』って、どういう意味?」
心臓が、変な跳ね方をした。
「急に難しいこと訊くね」
「先生が、ことばの意味を考えてみましょうって」
絵里がキッチンで麦茶を注ぎながら、こちらを見た。助けるでも止めるでもなく、ただ見ていた。
「痛いは」と僕は言った。「体が傷ついたり、つらかったりして」
「それはわかる」と凪が言った。「でも、言うとどうなるの」
僕は答えに詰まった。
言うとどうなるのか。
報告になる。状態を伝える。周囲に共有される。適切な処置に結びつく。そういう答えはいくつも思いついた。
でも、そのどれも、凪が聞きたいことから少しずれている気がした。
「お父さんはさ」と凪が続けた。「あの日、わたしが『いたい』って言ったとき、ずっと考えてたでしょ」
絵里の手が止まる音がした。
僕はすぐには言葉を返せなかった。
「うん」としか言えなかった。
「何を?」
その問いは責める調子ではなかった。だからこそ、逃げ場がなかった。
「ほんとに痛いのがどれくらいか」と僕は言った。「どういう種類の痛みか、とか」
凪は少し考えて、それから首を傾げた。
「でも、あのときは」
小さな声だった。
「来てほしかっただけだよ」
その一言で、ここ数か月うまく結べなかったものが、いちばん嫌な形でつながった。
僕は、痛みの意味を考えていた。
凪は、僕が来るかどうかを見ていた。
分かってほしい、ですらなく、来てほしい。
その前で、僕は意味や程度や分類を考えすぎた。
「ごめん」と僕は言った。
ひどく遅い言葉だった。
凪は少しだけ考えてから、「うん」と言った。そしてまた作文に戻った。
許されたのかどうかは分からなかった。
分からないまま、そこにいるしかなかった。
6. それでも、夜は来る
その日から、僕は誰かが「痛い」と言ったら、まず動くようにした。
凪が転べば駆け寄る。絵里が頭を押さえれば薬と水を持っていく。職場の電話でも、型どおりの確認を始める前に、「それはおつらいですね」と言うようにした。
それで十分だとは思っていない。
たぶん十分ではない。
けれど少なくとも、考えることを応答の前に置かないようにはしている。
ただ、夜になると、ときどき目が覚める。
隣の部屋で凪が寝返りを打つ音がする。エアコンの風がカーテンを小さく鳴らす。排水管のどこかで、水が短く鳴る。
そのどれかが、一瞬だけ人の声に聞こえることがある。
痛い。
そう聞こえた気がして、僕は飛び起きる。
廊下は暗く、床は冷たい。凪の部屋のドアを開けると、たいてい彼女は静かに眠っている。額に汗を少しかき、口を少し開けて、何も知らない顔で。
息を止めて耳を澄ますと、自分の心臓の音が邪魔で何も分からないことがある。
それを見るたび、僕は安心する。
けれど同時に、もっと深いところが冷える。
もし今度、本当にあの声がしたら。
もし次も、僕が一瞬でも考えたら。
他人の痛みは、やはり分からないままだ。
それでも来なければならない、という事実だけが、前よりずっとはっきり分かってしまった。
たぶん恐ろしいのは、痛みそのものではない。
誰かがこちらを呼んだとき、理解してから行こうとする自分のほうだ。
その自分は、いまも僕の中にいる。
暗い廊下に立つたび、僕はそれがまだ消えていないことを知る。
そしてドアノブに手をかける前、毎回ほんの一瞬だけ、
本当に今のは声だったのか、と考えてしまう。